工学部長挨拶

工学部長挨拶

千葉大学工学部長 伊藤 智義

TOMOYOSHI ITO
昭和37年 北海道札幌市生まれ
平成3年 東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻修士課程修了
平成4年 同 博士課程中退
平成6年 博士(学術)(東京大学)

 今年度より佐藤之彦先生の後任として工学部長を務めております伊藤智義です。まだ不慣れな点も多いですが、教職員の皆様に支えられて、工学部の運営にあたっております。
 初めてのご挨拶となりますので、自己紹介をいたします。私は大学院のときには理論天文学の研究室に所属していました。そのときのテーマが「重力多体問題専用計算機の研究開発」で、天文学専用のコンピュータを開発しました。そのテーマが縁となりまして、平成4年に群馬大学工学部電気電子工学科の助手に採用されました。平成6年に助教授となり、平成11年に千葉大学工学部電子機械工学科(当時)に異動してきました。そのときの工学部長は同じ電子機械工学科所属の山口正恒先生(その後、電気電子工学科)で、10月の異動で少々慌ただしく、工学部長室の前で個別に辞令を受け取りました。以来、25年にわたって千葉大学工学部にお世話になっております。
 理学系から工学系に移ったときに感じたことは、理学が自然の探求、つまりは解を求める学問であるのに対して、工学は人間の想像力に基づく学問であるということです。「こんなものがあったらいいな」と思ったモノが次々に創造されてきています。人間の想像力は豊かですので、その分、多くの分野があり、改組の際の流動性も高いように思います。
 皆様もご存じの通り、本当にいろいろな改組がありました。特に平成16年度のメディカルシステム工学科の新設では、当時の工学部長を務めておられた宮崎清先生(都市環境システム学科)から立ち上げの教授として任命され、人事やカリキュラム作成等、様々な業務に携わりました。設立時の学科長は北村彰英先生(共生応用化学科:後に理事、工学部長)が兼任という形で務められておられました。私は2年間、メディカルシステム工学科に在籍し、再び電子機械工学科に戻りました。その後、電気電子工学科を経て、現在は電気電子工学コース担当教員となっています。
 工学部の仕事としては、平成23年度から3年間、北村先生が工学部長のときに副学部長を務めました。東日本大震災直後で、大学教員及び研究者として、そのあり方について考えさせられる時期でした。全学としては、松元亮治先生(理学部)、関実先生(共生応用化学科)が研究担当理事をされていたときに、6年間、副理事の職務に就きました。大学が自分自身の強みや弱みを分析するURA(ユニバーシティ・リサーチ・アドミニストレータ)組織を立ち上げる時期に当たり、URA室長を務めました。
 工学部執行部や全学執行部での経験は現職にも大変有用だと感じています。これまでの知見や関係者とのつながりを活かし、工学部に少しでも還元して貢献できればと考えております。どうぞよろしくお願い申し上げます。
 改組の大きな流れとして、工学部総合工学科情報工学コースを発展的に解消した「情報・データサイエンス学部」の新設が正式に認められました。来年4月から1期生の受け入れが始まります。千葉大学としては11番目の学部となります。同時に博士後期課程を対象とした「情報・データサイエンス学府」も新設されます。博士前期課程は年次進行で、4年後に新学府に移行予定です。この10年でAIという言葉が一般社会にも浸透し、様々なデータをデジタルとして扱う流れはコロナ禍で加速しました。現在は国策としてDX化が求められています。DXを支え、先導していくためには工学の力が必須です。新学部・新学府は工学部・融合理工学府とは別の部局となりますが、今後も協力しながら、より良い方向をめざしていきたいと思っております。
 新型コロナウイルス感染症が2類から5類に移行し、以前の生活が戻ってきました。その中で、先日、今年春の瑞宝中綬章を受勲されました小熊幸一先生(共生応用化学科)、山口正恒先生が相次いで工学部にお越し下さいました。立派な賞状等を拝見して、私自身も大変誇らしく思いました。また、今年の9月には4年ぶりに松韻会が開かれます。皆様にお目にかかれることを楽しみにしております。さらには、2年前に100周年を迎えた工学部の記念事業も、100周年当時の工学部長であった佐藤之彦先生を中心に進捗しています。工学同窓会のご協力を得て、「工学部100年史」の発行や記念講演会、記念祝賀会の開催などを企画、準備中です。
 オンライン、対面、ハイブリッド等、コミュニケーションの手段は多様化しています。様々な形で卒業生の皆様の参画を得た新しい教育、研究などの機会も広がるのではないかと期待しております。今後とも、工学同窓会の皆様のご理解、ご支援を賜りたく、どうぞよろしくお願い申し上げます。